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地域の歴史やまちづくりに関する政策などについて書きます

バスタ新宿についての所感

# 1.バスターミナル + 商業施設 = バスタ新宿

バスタ新宿とは、新宿に散らばっていたバス停を1箇所にまとめた地上7階地下2階の施設で、隣接された商業施設「NEWoMan」も同時にオープンし新宿の新たなスポットとして注目を集めています。
実際にバス停としての機能を備えているのは、3階と4階(そのうち半分はタクシーの停留所や東京観光案内情報センター)で5階はルミネゼロ、6、7階は都心には貴重なガーデンファームとなっています。
ちなみに所在地は新宿区ではなく、渋谷区。
 
 

# 2.実際に行ってみた感想

実際に休日に足を運んでみたところ、さすがに発券所と待合室は混んでいましたが全体的にはあまり人はいませんでした。乗車率でいうと70%くらい。
待合室なのに椅子が少なく屋上に農園作ってる場合ではないのではと思いますが、運営の目論見通りシナジーを狙ったNEWoManで休憩する羽目になりそうです。いろいろ詰め込みすぎ感。
肝心のバスターミナルとしての機能は、1箇所にまとまったことで今までよりカジュアルにバス旅行できる感じは伝わってきます。
 
 

# 3.まちづくりとしてのバスタ新宿

まちづくりの観点で、このバスタ新宿を考えるとどうでしょうか。
バスターミナルというと遠方に人を運ぶ東京と地方のハブになるわけですから、その始点をフューチャーすべきではないのでしょうか。
例えば3階に東京観光案内情報センターがありますが東京に流出してきた人を対象にした東京の観光案内なので、これ以外に地方のバス発着エリアの観光案内もすべきです。
流入してくるユーザの系統を単なるユーザとしてみてしまうのではなく「何がしたいのか」「何を期待して」流入してくるのか考慮した上で、正しいシナジーを生み出すことが大事だと思うのです。買い物やガーデンファームはわざわざバスターミナルでやることではないのです。
 
 
## 参考文献
・バスタ新宿
 
 

福岡が先進都市になると思った3つの理由

そもそも"先進都市ってなんなんだ"って話ですが
"人口減の日本で、これからも不動産価値が下がるどころか上がりそうな都市”くらいの意味合いで捉えてもらえるとわかり易いかもしれないです。
 
 

# 1.プレイヤーの多さ

・開業率、起業家に占める若者の割合1位

起業が多い都市は新陳代謝が良く、都市が活性化する速度が早い。
どの都市も雇用増や納税を期待しプレイヤーを求めており、その点ではプレイヤーの多さというのは今後の期待度として大きな指標になります。
 
福岡はLINEやnulabと言ったITが盛んなイメージなのですが、やっぱりアプリやインターネットでサービスを作って...の起業が多いのでしょうか。
 
・福岡に特化したVCの存在
 
こういった都市そのものにコミットするVCの存在が、今後もプレイヤーを増やす要因となると思います。
 
 

# 2.若いリーダーの存在

政治による期待が疑問視されている中でも"うまくいっている都市”と"いっていない都市"があるわけですから、当然行政の長によって都市が良くも悪くもなります。
今の福岡を語る上でも、福岡の市長である高島宗一郎の存在は外せないです。
 

## 増えるコワーキングスペース

若いことがそのままメリットになるかと言われるとそうでもないのですが、上記で述べた「若いプレイヤーの多さ」という背景を踏まえると一貫性があります。
 
福岡市内には、民間だけでなく官民連携して運営しているコワーキングスペースがいくつかあります。
「コワーキングスペース」という新しい価値観にも対応できる若いリーダーの存在はこういったところに垣間見えます。
 
・AIPカフェ
・TSUTAYAの中にあるスタートアップカフェ
・西鉄 天神CLASSのTECH PARK
 
 

# 3.東京とは異なる、最先端なコンパクトシティ

東京は目的に沿った街がそれぞれあるのに対して、福岡はすべて中心街近くに存在します。
それ以外でも
・商い、オフィス、繁華街、空港、自然、観光地どれも中心街から30分程度でいける
・福岡のバスターミナルといえば「西鉄天神高速バスターミナル」、太宰府などの観光地まで一本で行ける
・「働く場所」「住む場所「遊ぶ場所」が近く終電で帰るという文化があまりない
 
3つのうちで一番圧倒的に人を惹きつける要素になりそうだなと思いました。
 
 

# まとめ

今回はざっくりと福岡全体の魅力についてまとめました。
福岡に一週間ほど滞在し、とても魅力的な都市でまとめざるをえなかったです。
 
今後また福岡については、新しい都市ルールや官民の連携の座組みなど制度に近いところを掘っていければ面白いことがわかる気がします。
 
 

地域活動でのLINE BOTの活用方法を考えてみた

あのメッセージングアプリLINEがトライアルでBOT APIを公開しましたので、早速どういった使い方ができるか考えてみました。
 
 

# そもそもLINE BOT APIとは

定期的にメッセージを送ってくれたり、質問に対して答えてくれるLINEアカウントは存在していました。
これらは企業などによって作られていたのですが、今回限定ですが誰でも作れるようになりました。
 
ざっくりできることをいうをまとめると
・登録ユーザに対してメッセージを送る
・メッセージに対して自動返信する
・メッセージにはテキスト以外にも画像や動画、スタンプも送ることができる
 

## 作ってみた

作ってみたんですが、公開はもう少し改良してからにしたいと思います。
参考になった記事を共有しておきます。
 
*プログラミングスキルがあれば、以下で雛形が作れます
 
*公式ドキュメントはこちら
 
 

# LINE BOTの本命はなにか

BOTといえばTwitterやSlackでよく作られていますが、それらのサービスの中でどういった活用方法となっているのでしょうか。
 
*Twitter
・著名人や芸能人などの名言をつぶやく
・人工知能やコミュニケーション
 
*Slack
・事業などクローズドなグループでの情報共有
・デプロイなどのコマンド代わり
 
どれも用途に身に覚えがあるかと思います。
LINEに比べると、複数人に対してまとめて発信する点が大きな違いではないでしょうか。
 

## すでに自治体のLINE利用は始まっている

では、地域活動においてどのような活用方法が考えられるでしょうか。
まず思い浮かぶのは自治体の利用ですが、こちらはすでに行われているようで行政のお知らせや災害情報といった情報を流していますが、発信している情報と場所がマッチしていないように思います。
データ的にもアカウントの登録数を見てみると福岡市で36,000、千葉市で10,000ほどで、LINE自体の国内利用者数が6000万人以上ということを考えると自治体アカウントは現状浸透しているとはいえないです。
LINEというコミュニケーションの場ですから、"緊急時のために登録しておく”よりも"なにか具体的にほしい情報が出てきたので登録する”のほうが自然かと思います。
 
 

# 街の観光ガイドとしてのLINE BOT

上記を踏まえると「街の観光ガイド」としてLINE BOTを活用するのはありなのではと思いました。
使われるイメージとして
観光地によくある案内所のパンフレットにLINE BOTの案内を記載しておく。観光客はそれを見て登録し、気になることやおすすめのお店などを質問し答えてもらう。パンフレットに載せることのできる情報は限られていますし、今現在いる位置などによってはおすすめのお店は変わってくるのである程度の柔軟性は必要な一方、観光客が求めている情報はある程度決まっているのでBOTにはちょうどいい気がします。
 
すでに活用されている事例があったら教えてください。
 

皇室の別荘である御用邸と地域におけるその効果

前回は富士屋ホテルと箱根について調べたのですが
もうひとつ気になった点があって、それはホテルの隣にある宮ノ下御用邸(現在の菊華荘)の存在。
 
実際にどういった経緯でその場所に御用邸ができたのか、山口仙之助が発展の一環として誘致していたとしたら...
ということで今回は、御用邸と地域の関係について調べてみました。
 

# 御用邸とは

そもそも御用地とは一体なんなのか。
宮内庁のホームーページでは以下のように書かれています。
 

御用邸は,天皇皇后両陛下・皇太子同妃両殿下・皇族方のご静養の場として使用されています。

 

 
要するに皇室の別荘です。
似たような存在として「離宮」がありますが一定規模の建造物と敷地を有するものを「離宮」、小規模のものを御用邸という使い分けをしています。
現在の御用邸はどこにあるでしょうか、御用邸の移り変わりを図にしてみました。
 

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同時期に最大14あった御用邸ですが、現在御用邸として存在するのは「那須御用邸(栃木県)」「葉山御用邸(神奈川県)」「須崎御用邸(静岡県)」の3つです。
特に高級住宅街として有名な葉山御用邸の歴史も古く、明治30年(1987年)は1年の半分も滞在するほどお気に入りだったようです。
 

## 天皇主権の国家体制だった時代

図を見ると、1880年から20年弱で14つもの御用邸が造られたわけですが、これはなぜなのでしょうか。
時代背景を考えると見えてきます。
どういうことかといいますと、1889年に大日本帝国憲法が交付され天皇主権の国家体制だった時期に多くの御用邸が造られたのです。
そしてなんのためかと言いますと冒頭で説明した"ご静養の場”という意味と、もうひとつ地方への巡幸の休憩施設として造られたのです(そういう意味でもご静養の場といえますね)
 
分けてみるとこんな感じでしょうか。
 
*巡幸の休憩施設
横浜、神戸、静岡
 
*ご静養
熱海、伊香保、沼津、山内、葉山、宮ノ下、高輪、田母沢、鎌倉、小田原、塩原、那須、須崎
 
地図とみるとかなり東に御用邸が寄っていますが、それは西側にそれに代わる施設(離宮など)が多くあるからだと思います。
これも時代背景ですね。
 

# 御用邸の地域における影響とは

御用邸がどういった理由で造られたのかは、わかりました。
では御用邸が地域にどういう影響を及ぼしているのでしょうか。
これも天皇主権の国家体制が大きく関係します。
 
特に葉山は、国の最高権力者が葉山に1年の半分いると政治家と天皇が対話を行う場として多くの政治家が集まり、こぞって別荘を建てます
そのあとを追うように経済界の要人が集まり、彼らもまた別荘を建て、現在の高級別荘地としての葉山ができる、と。
これは現在の地域のブランドイメージと比較してほしいのですが、前回富士屋ホテルの記事であった宮ノ下御用邸や他の御用邸のある地域でも同じことが言えます。
 
ここ40年新しい御用邸はできておらず、富士屋ホテル隣の宮ノ下御用邸も高松宮家別邸という役割を経て富士屋ホテルに払い下げられていますし、ほとんどの御用邸もそうです。
それでもなお地域のブランドイメージとして残っていることを考えると、結果的にですが地域の発展に一定の効果はあったかと思います。
 

# まとめ

いかがでしたでしょうか。
天皇主権の国家体制だった時代だったからこそ、生まれた御用邸とその地域の発展。
現代の民主主義では同じようなことは起こるとは思えないですが、こういった背景を元に地域は発展していったといういい事例だったかと思います。
 
 
## 参考文献
・天皇のリゾート―御用邸をめぐる近代史 
天皇のリゾート―御用邸をめぐる近代史

天皇のリゾート―御用邸をめぐる近代史

 

 

富士屋ホテルの創業者山口仙之助は箱根に多大な影響を与えた

先日、富士屋ホテルに泊まった際にその歴史に触れる機会がありました。
その話では「箱根は福澤諭吉に始まり、その教え子の山口仙之助(富士屋ホテルの創始者)が数多くの事業を行ったことによって箱根は大きく発展した」とのこと。
ざっくり大枠は知ることができたのですがもう少し広く知りたくなったので、今回は富士屋ホテルが箱根にどういった影響を与えたのかについて調べてみました。
 

# そもそもなぜ箱根に

当時それほど交通網が栄えていない箱根に、なぜ富士屋ホテル創業者の山口仙之助はホテルを開業したのでしょうか。
富士屋ホテルのホームページには以下が挙げられていました。
 
1.在日外国人の憧憬の的が箱根・富士山であること
2.東京、横浜(故郷)から近距離にある景勝地であること
3.温泉が湧き出ていること
 
これらすべてを満たすのが”箱根”であったというわけです。
外国人を対象としたホテルという姿勢は一貫しており、2についても横浜港に近いので外国人が比較的訪問しやすくなっています。
また100年以上経った今でも地の利が効いていることから、地域の特性として良い点をピックアップしているなぁと感じます。
 

# 箱根と富士屋ホテルの歴史

 では具体的に富士屋ホテルはなにをしたのでしょうか。
箱根と富士屋ホテルの歴史を軽く見てみます。
 
*箱根と富士屋ホテルの歴史
1878               富士屋ホテル開業
1887               塔ノ沢・宮ノ下間道路
1889               [富]町村制の施行により足柄下郡温泉村が成立、山口仙之助が村長となる
1904               [富]宮ノ下水力電気合資会社を設立
1914               [富]富士屋自働車株式会社創業
1919               箱根登山鉄道開通
1920~             箱根駅伝初開催
1950~68         箱根戦争
1966               [富]国際興業グループ傘下入り
 
特にポイントだと思った2つについて少し掘ってみます。
  

## インフラの整備

 山口は富士屋ホテル開業から10年あまりで他分野の事業を行います。
それは交通網(塔ノ沢・宮ノ下間道路、富士屋自動車株式会社)や今まで地域になかった電力事業(宮ノ下水力電気合資会社を設立)です。
ホテルにもっと快適に泊まるために行った事業が同時に地域のインフラの整備につながっており、現在でも塔ノ沢・宮ノ下間道路は国道1号、宮ノ下水力発電所は現在川久保発電所として地域を支えているのだから素晴らしい投資だと言えます。
 
そしてこれらのインフラを下地として発展した箱根に大きな資本が目をつけ、箱根戦争という名の開発合戦が起き莫大な資本が投入され、今日の"観光地としての箱根”の誕生につながっていきます。
 

## 創業者自ら村長となる

 山口は経営者として箱根を発展させるだけでなく、それと並行して自ら村長となり医院を作ります。
下記に出てくる武治とは、山口と同じく箱根で底倉蔦屋旅館を経営していた沢田武治であり、彼もまた箱根の発展に貢献しています。
 
当時の箱根には未だ医療の設備も医師もなく、これを憂えた武治は、村長山口仙之助と図って底倉村村医に医師岡島行光を招き、明治二十五年(一八九二)函嶺医院の開設に当たっては、発起人の一人として尽力した。医院の敷地は、武治が所有していた土地であった。

 

 
沢田武治もそうだがそれ以外にも「小涌谷を開発した榎本猪三郎」や「塔之沢福住楼の沢村高俊」といった人物がおり、当時の箱根には山口以外にも発展に貢献した動きがあったということは知っておいてほしいです。
  

# まとめ

 いかがでしたでしょうか。
富士屋ホテルにとどまらずインフラを整備、村長にもなった山口仙之助。
箱根の発展を信じていたからこそここまでできたのでしょうが、それを独占せず他のプレイヤーと協調してやっていくところをみると昨今の地域活性化でも大事な点が見えてくるかと思います。
 

## 参考文献

・富士屋ホテル - ホテルヒストリー
・箱ぴた - 箱根の歴史