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地域の歴史やまちづくりに関する政策などについて書きます

皇室の別荘である御用邸と地域におけるその効果

前回は富士屋ホテルと箱根について調べたのですが
もうひとつ気になった点があって、それはホテルの隣にある宮ノ下御用邸(現在の菊華荘)の存在。
 
実際にどういった経緯でその場所に御用邸ができたのか、山口仙之助が発展の一環として誘致していたとしたら...
ということで今回は、御用邸と地域の関係について調べてみました。
 

# 御用邸とは

そもそも御用地とは一体なんなのか。
宮内庁のホームーページでは以下のように書かれています。
 

御用邸は,天皇皇后両陛下・皇太子同妃両殿下・皇族方のご静養の場として使用されています。

 

 
要するに皇室の別荘です。
似たような存在として「離宮」がありますが一定規模の建造物と敷地を有するものを「離宮」、小規模のものを御用邸という使い分けをしています。
現在の御用邸はどこにあるでしょうか、御用邸の移り変わりを図にしてみました。
 

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同時期に最大14あった御用邸ですが、現在御用邸として存在するのは「那須御用邸(栃木県)」「葉山御用邸(神奈川県)」「須崎御用邸(静岡県)」の3つです。
特に高級住宅街として有名な葉山御用邸の歴史も古く、明治30年(1987年)は1年の半分も滞在するほどお気に入りだったようです。
 

## 天皇主権の国家体制だった時代

図を見ると、1880年から20年弱で14つもの御用邸が造られたわけですが、これはなぜなのでしょうか。
時代背景を考えると見えてきます。
どういうことかといいますと、1889年に大日本帝国憲法が交付され天皇主権の国家体制だった時期に多くの御用邸が造られたのです。
そしてなんのためかと言いますと冒頭で説明した"ご静養の場”という意味と、もうひとつ地方への巡幸の休憩施設として造られたのです(そういう意味でもご静養の場といえますね)
 
分けてみるとこんな感じでしょうか。
 
*巡幸の休憩施設
横浜、神戸、静岡
 
*ご静養
熱海、伊香保、沼津、山内、葉山、宮ノ下、高輪、田母沢、鎌倉、小田原、塩原、那須、須崎
 
地図とみるとかなり東に御用邸が寄っていますが、それは西側にそれに代わる施設(離宮など)が多くあるからだと思います。
これも時代背景ですね。
 

# 御用邸の地域における影響とは

御用邸がどういった理由で造られたのかは、わかりました。
では御用邸が地域にどういう影響を及ぼしているのでしょうか。
これも天皇主権の国家体制が大きく関係します。
 
特に葉山は、国の最高権力者が葉山に1年の半分いると政治家と天皇が対話を行う場として多くの政治家が集まり、こぞって別荘を建てます
そのあとを追うように経済界の要人が集まり、彼らもまた別荘を建て、現在の高級別荘地としての葉山ができる、と。
これは現在の地域のブランドイメージと比較してほしいのですが、前回富士屋ホテルの記事であった宮ノ下御用邸や他の御用邸のある地域でも同じことが言えます。
 
ここ40年新しい御用邸はできておらず、富士屋ホテル隣の宮ノ下御用邸も高松宮家別邸という役割を経て富士屋ホテルに払い下げられていますし、ほとんどの御用邸もそうです。
それでもなお地域のブランドイメージとして残っていることを考えると、結果的にですが地域の発展に一定の効果はあったかと思います。
 

# まとめ

いかがでしたでしょうか。
天皇主権の国家体制だった時代だったからこそ、生まれた御用邸とその地域の発展。
現代の民主主義では同じようなことは起こるとは思えないですが、こういった背景を元に地域は発展していったといういい事例だったかと思います。
 
 
## 参考文献
・天皇のリゾート―御用邸をめぐる近代史 
天皇のリゾート―御用邸をめぐる近代史

天皇のリゾート―御用邸をめぐる近代史