富士屋ホテルの創業者山口仙之助は箱根に多大な影響を与えた
先日、富士屋ホテルに泊まった際にその歴史に触れる機会がありました。
その話では「箱根は福澤諭吉に始まり、その教え子の山口仙之助(富士屋ホテルの創始者)が数多くの事業を行ったことによって箱根は大きく発展した」とのこと。
ざっくり大枠は知ることができたのですがもう少し広く知りたくなったので、今回は富士屋ホテルが箱根にどういった影響を与えたのかについて調べてみました。
# そもそもなぜ箱根に
当時それほど交通網が栄えていない箱根に、なぜ富士屋ホテル創業者の山口仙之助はホテルを開業したのでしょうか。
富士屋ホテルのホームページには以下が挙げられていました。
1.在日外国人の憧憬の的が箱根・富士山であること
2.東京、横浜(故郷)から近距離にある景勝地であること
3.温泉が湧き出ていること
これらすべてを満たすのが”箱根”であったというわけです。
外国人を対象としたホテルという姿勢は一貫しており、2についても横浜港に近いので外国人が比較的訪問しやすくなっています。
また100年以上経った今でも地の利が効いていることから、地域の特性として良い点をピックアップしているなぁと感じます。
# 箱根と富士屋ホテルの歴史
では具体的に富士屋ホテルはなにをしたのでしょうか。
箱根と富士屋ホテルの歴史を軽く見てみます。
*箱根と富士屋ホテルの歴史
1878 富士屋ホテル開業
1887 塔ノ沢・宮ノ下間道路
1889 [富]町村制の施行により足柄下郡温泉村が成立、山口仙之助が村長となる
1904 [富]宮ノ下水力電気合資会社を設立
1914 [富]富士屋自働車株式会社創業
1919 箱根登山鉄道開通
1920~ 箱根駅伝初開催
1950~68 箱根戦争
1966 [富]国際興業グループ傘下入り
特にポイントだと思った2つについて少し掘ってみます。
## インフラの整備
山口は富士屋ホテル開業から10年あまりで他分野の事業を行います。
それは交通網(塔ノ沢・宮ノ下間道路、富士屋自動車株式会社)や今まで地域になかった電力事業(宮ノ下水力電気合資会社を設立)です。
ホテルにもっと快適に泊まるために行った事業が同時に地域のインフラの整備につながっており、現在でも塔ノ沢・宮ノ下間道路は国道1号、宮ノ下水力発電所は現在川久保発電所として地域を支えているのだから素晴らしい投資だと言えます。
そしてこれらのインフラを下地として発展した箱根に大きな資本が目をつけ、箱根戦争という名の開発合戦が起き莫大な資本が投入され、今日の"観光地としての箱根”の誕生につながっていきます。
## 創業者自ら村長となる
山口は経営者として箱根を発展させるだけでなく、それと並行して自ら村長となり医院を作ります。
下記に出てくる武治とは、山口と同じく箱根で底倉蔦屋旅館を経営していた沢田武治であり、彼もまた箱根の発展に貢献しています。
当時の箱根には未だ医療の設備も医師もなく、これを憂えた武治は、村長山口仙之助と図って底倉村村医に医師岡島行光を招き、明治二十五年(一八九二)函嶺医院の開設に当たっては、発起人の一人として尽力した。医院の敷地は、武治が所有していた土地であった。
沢田武治もそうだがそれ以外にも「小涌谷を開発した榎本猪三郎」や「塔之沢福住楼の沢村高俊」といった人物がおり、当時の箱根には山口以外にも発展に貢献した動きがあったということは知っておいてほしいです。
# まとめ
いかがでしたでしょうか。
富士屋ホテルにとどまらずインフラを整備、村長にもなった山口仙之助。
箱根の発展を信じていたからこそここまでできたのでしょうが、それを独占せず他のプレイヤーと協調してやっていくところをみると昨今の地域活性化でも大事な点が見えてくるかと思います。
## 参考文献
・富士屋ホテル - ホテルヒストリー
・箱ぴた - 箱根の歴史